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いよいよ緊急事態宣言近し

都内各所の一週間の営業が突如中止となりました。従来ではありえないような大きなプレッシャーがかけられました。いよいよ緊急事態宣言が近いようです。事実上遊びにいけないようにされてしまうのです。

考えてみれば原発事故非常事態宣言も解除されてはいません。9年間発動されたままになっています。そしてこの間になにが変わったのでしょうか? 原発に関してはほとんど前進がありません。大本営発表を垂れ流しているに過ぎません。

さらに、テレビで有名な若手論客への与党からの利益供与が明るみに出てきました。彼らがこの数週間、急に保守的な言動を取るように舵を切ったことに対してメディアが身体検査を強化するようになった結果でしょう。そして、明るみに出ていない事実もたくさんあるでしょう。

私達も非常に弱い存在です。株式会社でありながら、遵法福祉活動が主であるため、数十万円単位の金額で、簡単に買収されかねない存在でいます。ただ、それはコンプライアンス上許されないと考えております。中立公正を保たなければなりません。

ひきこもりを助けることが第一目的なのではなく、社会平和、人類の幸福といったような綺麗事に聞こえるかもしれないけれども大切なことを実現するため、現代問題研究所は発足しました。撤退するつもりはありません。

緊急事態宣言が出ようとも、日本国憲法は守られなければなりません。移動の自由や集会の自由、行動の自由は束縛されないのです。どうか節度を持って行動してください。しかし、ストレスの発散はとても大切です。ストレスをためないように努力しましょう。

コロナ騒ぎはどこへいくか

新コロナウィルスの社会混乱がとどまりません。4月2日時点で、世界の100万人が感染し、5万人が死亡しています。しかし、私どもはひきこもり問題のほうが、遥かに「からだに悪い」、一刻も早い対応が必要だと思います。「本当に生きる」ことなく、引きこもったまま死んでいくことを止めはしませんが、おすすめはできません。

若者たちに限らず、感染爆発といいますが、感染者が抗体を身につけ、集団免疫を獲得し、季節性インフルエンザと同程度の社会的影響になるまで見守るしか方法がありません。ただ、日本の場合は、重篤患者数をコントロールして、少しずつ拡大するのは許容しようという動きなのですが、それには失敗する可能性は低くありません。

アメリカは10万人は最低でも死ぬだろうと発表しています。日本も間違えると高齢化が進んでいることからイタリアのような状態に何度かはなることが想定されます。100万人死んでしまうかもしれません。

しかし、この病気は、かからないですませることができるものでもなく、10年20年かけて、みなが感染していくような病気の一つです。だとするなら、短期的に、非常に制約のある生活を送るというのは間違っています。

もちろん、医療崩壊を起こしてしまうと、あらゆる病気のあらゆる患者が適正な医療を受けられなくなってしまいますのでそれは避けたいところなのですが、そうならないことを祈ることしかできません。

まだウィルスについてはわからないことが多すぎますので、お医者様も正しいことはなにも言える状態にありません。このウィルスがどこからきたのか、人工的に作られたものなのか、偶発的に出来上がったものなのか、何もとにかくわかっていないのです。

台湾やスェーデンはうまく封じ込めているように現時点では見えています。ただ、この病気は2週間から3週間後でないと現時点の評価が下せないのです。

世界的には、月末には1000万人が死亡するかもしれません。私達一人一人が、死を受け入れる準備が必要ということです。

私達は病に怯えるのではなく、一日一日を充実して生きることを改めて心がける必要があるでしょう。

PLAN Bなき日本を憂う

3/18/2020

コンサルタントは常にプランBを考えている。プロジェクトマネージャも同じだ。あらゆるプロジェクトは、最低3プラン用意する。日本の意思決定者が往々にしてボンクラであることや、世襲であることとも無縁ではないが、世界中、プランBを持たない団体は存在していない。

ところが日本においては常に是か非か? YesかNoか? である。これは驚くべき話で日本人の優柔不断さ、二枚舌三枚舌、スタンダードがいくつもあることは世界的に有名であり、白黒つけないのが日本人、というのがもっぱらの評判であるのに。

コロナ騒ぎでも、オリンピックをやるのかどうか、が大問題である。そんな場合ではないのに。命に関わっているのにスポーツの祭典なんかどうでもいい。世界中の人がそう考える。日本だけ違うのか? なぜなのか?

オリンピックを主宰しているのはアラブだのサウジアラビアの王子様たちらしいんだよ。彼らは原油安で今ピンチなんだ。みんなだってそうだろう? 会社が潰れそうなのに、子どもが、来月の運動会に来てくれるよね? とか言われたらどう思う?

富士フイルム社の関連会社が特効薬を発明したんだそうだ。おかしな話だ。日本の公認感染者数は1000人に届いていない。臨床試験をクリアしたとはとても思えない。また人種の壁を超えて効くのかどうかもわからない。コロナウィルスなるものが一種類かどうかもわからない。

既往症がある人が不利な状態で、安全性が高い薬が投与されたとしても、その薬効が強ければ強いほど、副作用も大きいのが常であり、危険度も高い。そういうことも何もわからない状態で日本は世界一の国だと盲信する人が株をストップ高にしてしまう。

どんなに少なくても一人種100人に投与して結果をみる、という過程がなければいけない。安全性が担保されたら、千人、万人と広げて、より正確なデータをとらないとならない。

旧型コロナウィルスはいわゆる風邪の4割だという話も嘘くさい。突然出てきた話だ。いわゆる風邪は、気温の変化などに体調がついていかず、体調に変調をきたしたり、疲労からくるものだと思っていたのだが、突然ウィルスのせいだ、という話になり、その4割が旧型コロナウィルスなんだとさ。何も信じられない。

オリンピックはもちろん中止にするべきだろう。どう考えてもリスケは不可能だからだ。1年遅れ、2年遅れというスピードで動いているイベントではない。2020年が決まったのは、約8年前であり、その招致までに都知事が何人も変わっていることを忘れてはいけない。

すでに2024年はパリが決まっている。2022年には大阪で万博もある。オリンピックのために作られる施設の多くは仮設であり、選手村はマンションとして分譲も決まりはじめている。2020年は飛ばして2028年にすべてを仕切り直してやる、ということは可能かもしれない。しかし、それは石原慎太郎が夢に描いた、若者たちに夢を与えるスポーツの祭典とはかけ離れたものになる。

富士フイルムの薬が特効薬だったとしよう。それで世界中の患者と、まだ検査を受けていないがキャリアとなっている人を治すのに、何週間かかりますか? 今回は再感染の問題もある。そして重篤となると人工呼吸器につながないといけない、という問題もある。

世界中に人工呼吸器を配備しないといけない。そんなことができないことは人口密度が低い国ではわかりきった話だ。日本でも北海道民はそうだろう。人工呼吸器を増産して世界中に配備する時間、臨床データり、をもとに世界中に特効薬を配備する時間。

どんなに頑張って、どんなにお金を積んで、どんなに努力したところで、絶対に間に合わない。すでに予選会が中止になっている。日本に対する不信感も強い。放射能はアンダーコントロールではないし、武漢インフルエンザは検査すらしていない。

日本そのものがオリンピックどころではないのだ。前回も書いたように、あらゆるエンタメは存続の危機にたたされている。世界中のアーティストがそれをツイートしている。日本では演芸場以外のホールは閉鎖され、バーや居酒屋すら閑古鳥だ。

前にも指摘したように、何をもって安全宣言となるのかわからない緊急の非常事態宣言により、すべての社会活動に制約が出ている。すでに私達は半月以上を失っている。これが3ヶ月ともなると、生活費がなくなり命に関わる人が多数出てくる。

にも関わらず、国のリソースの多くを、地球の裏側からいやいや連れてくる人たちのスポーツのためにつぎ込むんですか? 正気ですか?

危険度ゼロのはずの原発が爆発し、耐用年数が過ぎているのにまだ原発を使い続けようとする。プランBがないですから。本当に見ていて悲しいです。無料でもいいからコンサルティングしてあげたくなります。私達の生命・財産に関わりますから。

国民生活や国民の生命財産とオリンピックとどっちが大事なの??

このことでいいかげん目をさまして、年金でもなんでも、プランB、プランCを常に示して、厳しい現実でも受け入れられる大人の国になりましょうよ。今回はいい機会だと思いますよ。あと300年コトナだけで滅ぼされないで生きられるとはとても思えませんから。

【コロナ】殺人的無責任体質

3/2/2020

日本におけるコロナウィルスはなんのことはない、10日間で倍増してしまった。マスメディアは、イタリアや韓国のほうがひどい、と誤魔化しているけれども、人口比で言ったならば、日本は中国に匹敵するぐらい「あぶない」。

あまりにも無責任なのは、何をもって非常事態としたか、がわからないためだ。とりあえず半月くらい店を閉めてみるか、という調子では、終わりが見えない。そして店を閉めてみたけれども感染者数は日本だけが特異的に増えていて、回復者が少ない。

当社は12月決算だが、日本のほとんどの会社が3月決算である。そして、3月は一年の中でももっともノルマが積まれているし、過去11ヶ月不調だったならば、それをすべて挽回しなければならない一ヶ月でもある。しかし今年は半月休め、というわけだ。とてもたまらない。

実際のところがほとんどの大手企業ですら、自転車操業のようなものであるし、フリーで仕事をしている人たちからは悲鳴が聞こえてきている。しかしそれは誰の耳にも届かない。交通事故死や自殺者のほうがはるかに深刻であるのに、無灯火の自転車のほうが物理的に危険なのに、無意味なマスクを買い求めてさまよっている。

マスクの隙間よりもウィルスははるかに細かいので、この病気に対するマスクというのは幸せになる壺以上の効果がない。そして、マスクを倹約するあまり、マスクの外側を外した手でパンを食べ、タバコを吸い、そのマスクはポケットに突っ込んだり、無造作に口側を上にして机の上に置いておき、食事をしたらまたマスクをする状態だ。こんなでたらめな安全管理はどこにもない。だから、先進国で最悪の罹患率が減っていかないのだ。

大切なのは学校やコンサートを中止にすることではない。たしかにクラシックコンサートは高齢者によって支えられ、高齢者の抵抗力は低く、またコンサート料金は高いので無理してでかけている人も少なくなく、楽章の切れ目には遠慮のない咳の嵐だから、恐ろしいことは確かなのだが、ちょっと方向性が違う。

クラシックコンサートなんて馴染みがない人にはどうでもいいのだろうが、在京にいくつもあるオーケストラがたった数回の公演がキャンセルになっただけで存亡の危機に立たされているのだ。

高杉晋作の時代には平均寿命が42歳だった。私達はもう充分生きた。他人を蹴落としてまでマスクを買い漁る年齢ではない。いつ死んでもいいじゃありませんか。もう少し優雅にかまえられないものでしょうか。先進国なんですから。

現代問題研究所につきまして

令和元年(正確には平成31年)から40年弱の任意団体から法人格を得ましたJICI現代問題研究所ですが、第一期はおよそ90万円近くの赤字決算となりました。実際には、約20名ほどのボランティアのかたにお手伝いをいただいておりますので、実質的には資本金が吹っ飛ぶくらいのインパクトがある決算となってしまいました。

これは様々な悪条件が重なったことがありますが、もっとも根深いものとしては日本経済の先行きの不透明感が、限りなく暗黒に近く、しかしそこに当社として松明の炎をうまく掲げられなかったことでもあり、深く反省をしております。

令和元年度は8050問題のカウンセリング、解決手法の確立に、多くのリソースを割くこととなりましたが、2020年12月期は、8050問題についての区切りを目指す一方で、本来業務でございます、出版事業を軸とした事業展開を計画しております。

ご承知のように、出版を取り巻く環境は年々厳しさを増し、紙の雑誌は壊滅状態に近く、本も本屋さんも四半世紀で約半数が消えてしまいました。そして、その傾向は今後も続くだろうと言われています。唯一、ある程度元気なのはコミックですが、それも電子書籍にとってかわられるのではないか、と言われております。

他方、出版点数だけ見た場合には、電子書籍まで含めた場合には、非常にバラエティに富む状況となっており、つまり、従来の出版とは考え方が異なってきている現況となっております。

従前は著者印税は本の本体価格の5−10%であり、7000部発行されて50万円程度の収入で会ったのに対し、現在は非常に少ロットのプリントに近い印刷となっていて、同人誌よりはやや広い層に対して、部数こそ2000、3000であっても印税が4割という場合もあり、よりニッチな層を目がけて息を長く販売するということができるようになってきたのです。

一方で8050問題解決支援センターの業務の立ち上がりもあるため、こちらのリソースを落としながら、出版事業に軸足を移すべく今期はトライアルしつづけていく所存です。

【コロナ】無頓着な若者に注意しましょう

コロナウィルスが大騒ぎとなっていますが、正直騒ぎすぎであり、無駄なエネルギーが消費され誤解が多いと思います。当研究所では一部で起きている集団ヒステリーに警鐘を鳴らすものであります。

間違った「正しさ」が闊歩する

要するに、どの機関、団体も「大流行が起きた場合の責任を取りたくない」。どうせ責任を取らないくせに。ここが本当に困ったところです。どうせ誰も責任を取らないのに「なにか起きたらどうする?」。おかげで中小企業は存亡の危機に立たされています。

コンプライアンスという言葉が日本において外資系から大会社に移ったのが約17年前です。「社会的責任」という言葉は大流行し、当社登録コンサルタントもそれで潤っていたことがあります。もちろんその波は終わってしまいましたが。

「温暖化」などは、さらにそのちょっと前になります。もう我々は地球温暖化で四半世紀近く騒ぎ続けているのです。「ツバルはどこへ行った?」という話です。とっくに沈んでいなければいけないツバルという地域はまだ残っていて、インドネシアからの助成金が出続けている限り残るでしょう。そういうゾンビ会社のようなゾンビ地方公共団体はいくらでもあります。

地球温暖化を声高に叫んでいた大企業の優秀な人材とされる人たちも、現在では気象変動、と言い方が変わっています。言い方が変わっているだけでヒステリックな報道は相変わらずです。

日本人は、ある時突然なにかにフォーカスすると、それが、日常生活においてそれほど大きな影響を与えないにも関わらず、大騒ぎし、またいつの間にか飽きてしまいます。

コロナウィルスが問題がないとはいいませんが、その数や社会的影響度からすると、全日本に点在するひきこもりたちやそれを支え続けている親たちのほうが大問題です。

あるいは大学や大学院まで卒業しながら、働きたくとも定職につくことができず、なんとか食いつないでいる山のような人たちの命を守るほうがもっと重要です。

そう、若者の自殺者もいっこうにとまりません。万人、10万人単位で大問題が起きているのにコロナはどうでしょうか? 罹患者は増えるでしょう。しかし、死者は他の大きな、そして解決できていない、あるいは解決を投げ出している社会問題に比べて、今のところ大した問題ではない。

もう少し冷静になれないのか? なれないのでしょう。それは間違ったコンプライアンス意識だけが独り歩きし、要するに誰も責任を取りたくないし取らない社会ができちゃっているためなので。

ですから、こうしたことをこうしたところに書くならともかくツイートでもしようものなら「お前は責任が取れるのか」という暴論に巻き込まれてしまいかねない。本当に日本は奇妙な国です。

戦地で戦うだけでなく銃後の守りどころか、中でいがみ合い、非国民探しをする、そういう体質から抜け出すことなく1世紀以上がたってしまいました。この国の正義は歪んだままです。

国際社会なんかどうでもよい

ひきこもり問題でもそうですが、自分の家族より大事なのは自分の世間体、というのが日本人を蝕みつづけています。自分は存在しているけれども世間は仮想のものにすぎませんから、他人を全員満足させることは不可能なのに、その妄想に取り憑かれて自縄自縛してしまう。

国際社会なんかどうでもいいのです。日本を守ることが大事。日本を守るためなら、オリンピックはとっとと中止にするべきだし、その後のことを考えないといけません。

IOCが5月までに中止かどうかを決める、と言っていますが、理論上、現時点で特効薬が見つかっておらず、それどころか一度罹患した人が再び罹患した、抗体ができなかったというニュースがあります。

これが真実なのかどうかすらわかりません。病気は伝染していく途上で、変化をしていくこともしられており、昨年はきいた薬が今年はもう効かない、などということは今までもおきています。

あるいは、薬そのものも、きちんとした管理のもとに使用されなければいけませんが、ことに世界中の薬の驚くべき量を使用している日本人は、適正に薬を使用することに熟練しているどころか、かなり怪しげです。

日本で流行していない状態では海外の治験に頼らざるを得ないところがありますが、実際のところ、アジア人とアングロサクソン人では様々な違いがあり、そのまま当てはめるというわけにもいきません。

そういう意味では、武漢にこそ、このウィルスを解く鍵があるのですが、現時点ではほとんど期待できない状況のようですね。

だとするならば、日本国内での封じ込めを徹底的に行うこと、これ以上の流行を防ぐこと、そして、保菌者は積極的に医療機関や医学的研究機関に協力して、一日も早く、ある程度万能なワクチン、もしくは、死に至らしめることを防ぐ薬が必要とされます。

IOCやらWHOなんかどうでもいいのです。私達の国は、おそるべき老人比率、体力がない人が半分以上を占めるような国であり、世界にまれなのです。特異な国なのですから、世間体を気にしている場合ではない。まず、自分の命を守ること。そのためにできることはすべてやること、です。

喫煙者は特に危険

学者としてフィールドワークしている限りにおいて、喫煙者は最も危険です。喫煙者を家族に持ち、かつ身体が弱い人をも家族に持つ人は、最大限の注意を払ってください。

喫煙者の不潔さは国辱ものです。体中からタバコの匂いがしているにも関わらず、他人を説教したりします。この人たちは依存症であり、依存者は健康維持は極めて困難でありますし、もちろん潔癖ではありません。

喫煙者にも関わらずマスクをしている人は少なくありませんが、彼らは喫煙ごとにマスクを捨てているでしょうか? そんなことはしません。もったいないからです。もったいない、という意味では枯れ葉を燃やすために毎月数万円も払っているほうがもったいないのですけれども。

バイキンがたくさんついたマスクを素手で外側をつまんで外し、ちょっとポケットにねじ込み、その手でタバコの吸口をつまんでタバコを箱から出し、ライターで火をつけ、さらにタバコ以外にベタベタとあちらこちらを触ります。そして最後には、ポケットからマスクを取り出して装着し直すのです。

もうこの一連の動作で、もしマスクの外側にウィルスがついていたならば、タバコを加えた瞬間に感染することになります。そうして、こうした人たちのほとんどはデリカシーがありませんから、ウィルスのついた手で、ドアノブを回し、コンピュータを叩き、エレベータのボタンを押します。

除菌を徹底しましょう

アルコール除菌を徹底することです。現在、大型施設の入り口にはアルコール除菌のボトルが置かれていますが、除菌を行っている一般人は1割程度しかいません。

つまり、今現在、自分はウィルスを触っていない、と思い込んでいるのですね。しかし、この状態ではいくらマスクをしていてもほとんど意味がなく、エレベータのボタンやつり革につかまった瞬間にウィルスはどんどん移動していきます。

どういうわけかマスクは売り切れているのに、除菌グッズはそんなに売れていません。それにみなさん手洗いもおざなりです。よく言われる話に、男性器より手のほうが雑菌が多い、というのですが、だからといってこれだけウィルスが大騒ぎになっている時期に、時間をかけて手を洗わないというのは殺人的行為ではないでしょうか。

殺人的行為で死ぬのが自分なら仕方がないことだなあとは思いますが、平気で他人を殺していませんか? 注意してくださいね。マスクも他人を守るためのものですが、それ以上に意識を変えるだけで安全性は全然違います。

甘く見ると痛い目にあいます

一般的には、特効薬が見つかったとしても、その試験が終わって量産がなされ流通するのに数カ月かかるといわれています。オリンピックには間に合わない可能性が高いですね。

冒頭、大騒ぎしすぎですよ、と申し上げました。少なくとも今のところは大騒ぎしすぎです。他のあらゆる病気のほうをもっと恐れるべきです。ことに喫煙者は様々な病気のリスクが高いわけですから。

手洗いもしない。選択もしない。一昔まえならば不潔極まりない若いサラリーマンが、技術の進化のおかげで、わりとふつうにいても気づかない状態になっています。

マスクをするより、定期的に水分を取り、ウィルスを肺に吸い込まず胃に落とすようにすること、30分に一回はアルコールウエットティッシュで手だけではなく、触りそうな場所を拭き清めること。これでそうとうな予防になるはずです。

まだ、感染は拡大するでしょう。甘く見ないことです。だからといって恐れすぎないことです。私達の幸福に生きる権利はまだ損なわれていないのですから。

日本の進むべき道

年明け恒例のテレビ朝日「朝まで生テレビ」を流し観した。雑感として、1.無理やり「若手論客」を作ろうとしている。2.「若手世代」には未来を生み出す力がない。圧力団体や現代社会に毒された「傀儡政権」。言語化能力も新しい知恵もなく、期待に答えられない。3.従前の「偉い人」に知恵はない。4.三浦氏が田原氏に媚を売ることによって地位挽回を図ろうとしている。5.あまりにも現実軽視で具体的な未来を語ることができる人を連れてくることができない。もしくは存在していない。

以上によって、見る価値はなく、大いなる時間の無駄である。

子育て支援は泥縄である

なんの疑問も持たずに政治家などから語られたのは「子育て支援が成長戦略」という途方もない嘘と雑な議論であった。これは野党が強く与党に注文をつけ、与党も一定程度の同意を示しているものであるが、議論が空虚すぎて議論にならない。

人口減少や、高齢化による労働人口の現象が国力を下げることはほぼ通説であるが、今から子育て支援を始めても、世界に類を観ない先進国の急激な少子高齢化をストップさせ、リバウンドさせることはほぼ不可能である。

それが可能だったのは、21世紀に入る前までだったが、今からの政策としては少なくとも20年、実際には30年以上遅れている。私達は特に地方や地方都市における急激な人口減少と高齢化に、全く備えなく、突っ込まなくてはならない。

すでにその兆しはコンビニの24時間営業の廃止や、鉄道路線の廃止、あるいは自然災害によって倒壊は免れたものの、住むに耐えないような家屋にすまざるを得ない状況になってしまっている「自己責任原則」の犠牲者たちに見ることができる。

これだけ住居が余っていて、産業によっては深刻な人手不足であるというのに、移住や職種転換のサポートもない。そして、今後もリストラは進み、高齢者を再教育してサービス業に転換させるようなムーブメントにはならない。なぜならば、現政権を含むほとんどすべての既得権益層が現状認識を誤っているからである。というより、彼らは自分たちにそれをする義務があると全く考えていない。なぜなら、過去数十年それでやってこれていたし、彼らの先輩たちも何も教えてくれなかったからである。

今から子育て支援をして、その支援が適切であり、永遠に続く保証がある、ということが浸透して初めて、子育て成長戦略というのは画餅ではなくなる。しかし、いわゆる「年金詐欺」、かけた年金がもらえないかもしれない、あるいは、期待額よりはるかに下回る、という現状で誰が政府の政策やお金のバラマキの定常化を信用できるというのか?

年金にしたところで、「積立方式」であったものが「完全賦課方式」という名の「労働者から高齢者へのスルーパス」状態にならざるを得ない状況になりつつあることはほとんどの中年世代は知っている。絶望的な状態である。

「名目労働者」は、非正規雇用の2000万人も含むわけだが、非正規雇用者から社会保険料をふんだくると、生活が成り立たなくなってしまう。実際には年収400万円の労働者二人から20%ずつとった、80万円しか一人の高齢者に分配されない。

80万円というのは、地方都市であれば一応なんとか生活できる金額だが、いわゆる「ベッドタウン」および首都圏などに住居を持っている人にはとても厳しい数字だ。

30年以上前に立てた実家の固定資産税が毎年80万円あって、下がることがない、という人はかなりの数いるのです。鉄筋コンクリートでビルのような建物を庭付きの土地に立ててしまうとそういうことが起きるし、今後はさらに固定資産税を増やさざるを得ない状況にあり、地価と無縁に固定資産税だけが上がっていく、という危険な状態が想定される。

しこうして、子育て支援が成長戦略になりうるのは、早くてそういう「安心層」がたくさん子どもを作り出し、その子どもたちが労働者になる時期であるから、それまでの20年間はひたすら国力は落ち続けることになるし、「子どもを産める可能性のある人」も激減していくことになる。

こんなものは現在の政治家が語るべきことではないし、無責任極まりない。政権が変わろうが何が起きようが、子育て支援が制度として確立しなければ、「成長戦略」にならない、それをどう担保するというのか?

また、20年前は子ども一人育てるのに1000万円と言われていたのに、現在は2000万円かかる、というのをなんとかしよう、というのも非常に雑な議論である。

子ども一人あたり年に100万円かかるので、二人いたら、年収400万円の世帯では難しい、という愚にもつかない議論である。赤ちゃんは手がかかるとは言え、ペットを飼う程度のお金で育てられるし、机の引き出しでも育てられる。しかし子どもの体格が大きくなるにしたがって、2DKでは手狭になり、大きな家に引っ越したいがお金がない、という状況になるのだ。

また、非常に高額なのは大学だ。大学の文系の学費の平均は450万円とされ、理系はどうしても設備が高いため、より高額にならざるを得ない。ことに医学部は高額である。

学費だけでなく、人口の半分ぐらいは地方に住んでおり、大学は都市部に集まっているし、ことに「名門」「就職に有利」となると実家から通えない大学に通うことになる。そのため、仕送りが必要になる。年に100万円としても400万円である。

大学受験のためにも高額な費用がかかり、大学卒業のために1000万円が費やされるが、子どもを作っておいて大学に入れないと、子どもにまで恨まれる。かといって奨学金と言う名の学資ローンを借りると、人生のスタート時点で大きな借金を負うことになる。

しかし、大学ビジネス自体がそうとう苦境になっている。そもそも、これだけ、名門大学の講義や、高名な学者や実務者のプレゼンテーションや講義がYoutubeや会員制ネット配信で観られる現在、わざわざ家を出て大学に行く必要があるのか? という根源的な問題がある。

結論から言えば、実家を出て大学に行く必要があるのは、子供の人格を認めることができない幼稚な親や地域社会が多いためだ。そこから逃げるために、一個の人格として真の社会人になってもらうために必要なのだが、実家から大学に通う人は乳離れ、親離れ、子離れしないで社会人になってしまい、会社の入社式にまで親がついてくるような状況に陥っている。

真の成長戦略の前に通る門

なぜこのように雑な議論がまかりとおるのだろうか。それはテレビという既得権益の権化の上で議論がかわされている、政治家や大学教授、学者の中でも既得権益をうまく利用している人たちだけが議論しているからである。既得権益のおこぼれにあずかっていない、自由に発言できる人が減ってしまったし、そうした人の意見は「過激である」と苦情がくるのだ。

何しろテレビを観ている人たちの8割は中年以上高齢者である。小さな子どもたちも同じ食卓にいても、スマホやゲームをいじっていて、テレビの内容には無関心である。なぜなら彼らにとって関係があるキーワードが出てこないから。

日本は成長戦略もなにも、現時点でも成長しているふりをしている(実際には世界中そうなのだが)けれども、どんどんしぼんでしまっている国である。このクリスマスから年末年始にかけては、買い物をする人が激減したように感じる。スーパーも閑散としている。もう世の中全体が高齢化したのだ。

そしてその高齢化はどんどん進む。にもかかわらず、政治家、官僚、大企業の管理職といった既得権益層が自分の利益確保に勤しむあまり、真の日本復興は存在し得ないはるか未来の話になってしまっている。そうではない、「現実を冷静にみてください」。

現実は、さらなる高齢化、大量死社会、そして全世界的な流れとして、格差の拡大、貧困層の拡大、高齢化、気象変動、食糧危機、エネルギー危機、そして社会的抑圧や圧迫が増すことによりテロ、サイバーテロから終わりが存在しない第三次世界大戦が発生する可能性すらある。

さまざまなシナリオを想定し、さまざまな解決策を考え、あるいはシミュレーションし、いざとなったら実行できる、自分の身体と健康は自分で守る、という日本人が最も苦手なことをこれからの人間はやらなくてはならないのである。

オリンピック後に焼け野原となり、つまり、さまざまな助成金がうちきられて、今まで自分たちがどんなバブルの中にいたのかをはじめて認識でき、そこから危機感をやっと持つことができるような若い人たちも出てくるだろう。

そのときに、頼れる年配者がほぼ皆無、という悲しい状況が待ち受けている。年配者が若者を正しい方向に導いていく義務がある、のは生物的には一般的にそうなのだが、日本人にその意識がある人は本当に一部の教員や医師程度である。実に厳しい環境である。

日本を発明する

日本の再構築。それは新しい日本を発明することに他ならない。これは深い内容を含むのでまた別の日に。

2020年の展望

年の瀬ですので来年、2020年を展望してみたいと思います。

いよいよ訪れる多死への備えは?

まず2020年代を俯瞰してみましょう。今のところ、人口は全人口に対するグラフだけでみればダラダラと少しずつ減っているようにしか見えません。グラフによっては、斜め45度と急坂を転がり落ちているようにも見えますが、それは統計をどうみせるかの恣意的なもので変わるので、現実に体感している姿とは異なります。

現時点で起きていることはなにか? 日本全体の人口は減り続けているのに、東京、首都圏を代表とする都市部での人口がまだらに増えている。人口は減っているのに世帯数が増えていた。

結婚したい人はたくさんいるが、結婚しなくても圧力がかからなくなっている。結婚しなくても便利に生活できるし、結婚ではなく同居、パートナー、あるいはペットを家族として迎え入れる共生が進んだ。

統計から見て明らかにわかることだけで、独居世帯が増えたということ、そしてそれは、大学に入って、あるいは都市部で就職して一本立ちするというようないっけん華やかそうなものではなく、離婚、死別、ルームシェアリングの解消、あるいはネグレクトからの逃亡など、「満を持した」ものではない話が多数です。

非常に現実的に、厳しい言い方をすれば、単身者世帯のほとんどはほぼ自動的に孤独死してしまう運命です。現時点でも、単身者世帯の3人に1人程度が、腐乱死体で発見されるということです。

死は公平に誰にでも訪れると言いますが、死に方、生きている間の幸福度はけして公平ではありません。不公平もいいところです。数々の栄光を手にし、思い通りに人生を設計して生きた人もいれば、不本意の連続で、他人に人生を台無しにされ続けている人もいます。

私たちは無意識で無配慮であるがために、常に誰かの足を踏んでいます。踏まれている側は痛みがわかりますが、踏んでいる人は、自分が誰に迷惑をかけているか、あるいは苦痛を与えているか、知りませんし気づきません。

非常に多くの人を見てきましたが、お金持ちや、非常に高い地位についたひとほど不平不満をいい、名もなき人のように働いていた人ほど、小さな幸せを大切に思います。人間というのはそういう生き物なのかもしれない、と諦めてしまうほどに、です。

年間150万人が死んで、10年で1500万人がなくなる。それはまだ甘い予測です。70歳くらいの交際が広い人は、一年間に50回くらい葬式に行くといいます。

親しい人との別れというのは辛いものです。親しくなると辛くなってしまう。そのため、他人と親しくなるのを避ける人も少なくはないのです。

この世代の人たちはかなりエゴが強いので、「自分の生きた証」を残そうとします。一般の社会にとっては非常に迷惑です。一部の「業者」さんにとっては蜜の壺なのですが。

2020年代、間違いなく日本における多死社会がきます。現状ではその準備がどこにもできていません。今のところとにかく長生きこそ「正義」です。人は生きる希望を失ったときに生きる希望がなくなってしまいます。

独居世帯が増えている。社会で共生できない人が増えている。さらに老人が増え、「社会のお荷物」が増える。さまざまな配慮は必要ですが、ときに冷徹な政治判断も求められるであろうこの年代の指導者に、あまりにも愚かしい人しか目に入らないという現実が立ちふさがっています。

過去の知恵がゴミに

私たちは、年を重ねてしまうと、過去の経験、や過去の体験、過去の知恵というものについ重きをおいてしまい、現状判断を誤る傾向があります。「腕を磨く」「経験がものを言う」というような慣用句にすがってしまうことがあります。

ところが、何しろ人口が減ります。それも都市部で。さらに老化が進みます。何が起きるかといえば、総人口総基礎代謝が減る。そして、財布の紐は固く固く絞られる。(いまどき財布に紐もなければがま口もありませんが)

コンビニは3つに集約されましたが、ドラッグストアはまだ多数ある。さらに100円ショップがデパートのようになっている。食料品を売る店が多すぎるのですね。都市部では冷蔵庫がなしで生活ができます。

少し昔には、「魚なんか食ってる国民」とバカにされた日本人ですが、どんどん魚を食べなくなっています。ことに日本の魚を。オランダ産、ノルウェー産、ロシア産、アメリカ産。回遊している魚の産地に意味があるかどうかは別として。

崖を落ち始める日がきてしまう

今まではゆるやかな坂を下っていたような日本経済ですが、ふと気づくと本屋さんの数も新聞の部数も、テレビの品質も、あらゆる日本製の品質もすべて落ちてしまって、ほぼ米以外は海外産の食べ物に埋もれている。

最近の服を来ているとそうしたことを感じませんが、ほころびが出てしまうと一気にダメになる。そういう日が、2020年代のどこかで来てしまう。それはオリンピック直後だろう、という予測が多いのですが、誰にもそれはわかりません。

そして、その日が来ても、わかりやすくくればいいのですが、そうではないので。

予測は立てておけば対処できます。悲観的な予測をすると盛り上がらない。そんなところで盛り上がっても仕方ないのです。なるようにしかならない、と言っている人は泣きを見ることになります。

なるように、というのは、今よりずっと悪くなるわけですから。私達に足りないのは覚悟と謙虚さであり、バブル期経験者の傲慢さは本当に役に立たない。すべてのものはGAFAに負けている。その自覚が、再生への第一歩なのです。

決算時期が近づいてきました

当社の決算は12月となっております。本年度の見通しとしては、法人化に伴う諸経費および家賃、維持費などが赤字計上される見通しです。

2時間までの相談料を無料とします

この結果を受けまして、来季以降について、二時間までのご相談料を無料とすることといたします。実際には二時間で相談が済むケースはほとんどなく、カウンセリングを伴う相談というケースも多々見られるため、二時間という枠を設けさせていただくことにより経営の健全化を図ってまいります(今季中に結ばれた契約はそのまま有効となります)。

料金体系の全面見直しを実施します

料金体系が不透明であるというお叱りをうけましたので、やむを得ず緻密な料金体系を設定することを予定しています。少々時間がかかりますのでお待ちいただければ、と存じます。なお、これにともない、お客様との合意に基づく成果が達成できなかった場合についても、賃率費用、実費はいただくこととなります。あしからずご了承くださいませ。

レポートの一般販売は再来期以降です

当社は研究所でもありますため、企業・団体様の求めに応じましてレポートを提出することを生業としております。かんたんなコメントからテレビ出演に至るまで行ってまいりましたが、現状で人員が不足していることなどから、メディアへの露出を絞るとともに、選択と集中に基づき効率的な組織運営をしてまいります。

現在、高齢化問題、少子化問題、8050問題など喫緊の課題が非常に多くあり、また、多くの専門家を名乗る評論家の方々による無理のある内容の書物が多く発売されていることは批判されるべきでありますが、当方として事業の余力がないため、一般向けのレポートは再来期を予定しております。

またレポートは書籍として販売する予定はございません。これは現状の出版業界の趨勢を見ればわかることで、初版2000部、返本率5割、書店数、売り場面積激減という状況を見たとき、1000円程度の新書を発刊したといても10万円程度の収入にしかならず、まったく事業として見合わないことによるものです。

ISBNをつけない書物(一般流通させないレポート)もしくは電子出版、あるいはアプリなどさまざまな形態が考えられるとは思いますが、家族間の感情のもつれを本を販売することでときほぐせるとは考えにくいため、現在のところそのことを目的とすることを候補に考えておりません。

8050問題にリソースの7割を充当

現在のところ、現代問題研究所は実質的には8050問題研究所となっております。全体のリソースの7割以上が8050問題に費やされているからです。8050問題自体は、昭和ひと桁世代が親である間は続くと考えられますので、当面8050問題研究所として運営していくこととなりそうです。

それは他の人たちにはできないことですし、私どもしかしらない秘密もたくさんございますので、8050問題こそが私どものコアコンピタンスということができるのかな、と存じます。今後ともよろしくおつきあいくださいませ。

ひきこもり問題に関する警鐘(登戸事件を受けて)

これは登戸殺傷事件を受けて、一般の社会人のかたがたに向けての私どもの「ひきこもり問題」に対する考え方を示したものです。

登戸殺傷事件に関して、さまざまな言論者、評論家、自称専門家、そして一般社会人などがさまざまな非常に的外れかつ、自己批判なしに他責的な正しくないコメントを出しております。非常に悲しいことですし、冷たい社会なんだな、と思います。どうか、コメントは自粛していただきたいと思います。

一部の人は、事件の首謀者を指して、「モンスター」呼ばわりしたり、「これはテロだ」とか「考えられない」と、全否定したりもしています。大きな間違いです。社会人として無責任かつ不適切です。彼のような気の毒な人を生み出したのは、さまざまな病におかされている現代日本社会そのものです。現代日本社会を作り出しているのは、私やあなたがたみなさん一人ひとりであり、このようなことを繰り返さないためには私たち一人ひとりに大きな責任があります。決して政治家や行政などを責めて解決するものではありません。

事件の全容の解明はまだ当分先でしょうしオウム事件のように解明されないかもしれません。ただ、事実としては、「長期間ひきこもり状態にあった比較的コミュニケーションも取れる男性が、(おそらくは)プライドを傷つけられるきっかけから、計画的に大勢の罪のない児童たちを巻き添えに自害した」です。大変悲劇です。被害にあわれたかたの怒りと悲しみはとても想像しえない、社会にとってもとても辛い状況です。

ただ、私たちが勘違いしてはいけないのは、彼は「大勢の人たちを殺害するために生を受けたわけではない」ということです。つまり彼はテロリストではないし、自爆テロを起こしたわけでもありません。世の中にテロリストがうようよいるわけでもなく、まして不幸にしてひきこもり状態にある人たちに対して監視の目を強めよ、というような論調は勘違いもはなはだしい、それこそが日本社会の病理であり、このたびの行動の引き金になったともいえます。

私どもはこの事件を擁護しているわけではありません。「正しい目で物事をみてください」とおねがいしているのです。それは事件を繰り返さないために社会が成長しなければいけませんよ、と申し上げているのです。こんな悲劇を乗り越えて成長しなければいけないのは大変ですが、そうしないと、何度も何度もこうしたことは繰り返されます。

オウムしかり西鉄バスジャックしかり、ふつうの人、として生まれたはずの人、事件を起こす前までは特に大きな問題もなく、したがって警察からマークされることもなかったような人がある日突然大事件を起こしてしまう。起こせてしまう。そして繰り返されてしまいます。

ご近所のかたは、「あの家にはひきこもりみたいな人がいる」と認識していました。認識しながら放置していました。おそらく誰も救いの手を差し伸べませんでした。侮蔑的な視線で見ることはしたとしても、誰も友達になってあげたり、彼の心の闇を親身になって考えてあげたり、という「めんどくさいこと」を避けてきたのではないでしょうか?

この事件を全国で報道することで、地域地域で受け取り方は全く違うと思います。登戸は古くから開発された街で急行も止まります。いっぽうよみうりランド付近は私の記憶では、アップダウンの激しい地形にたくさんの住宅街が張り付いている土地柄で、何十年と住んでいる人も多く、地方ほどではなくとももう少しウェットな人間関係があった場所です。

少なくとも、近所の事情通だったり、リタイヤメントして住み続けている人は、周囲50軒程度に、ある程度どんな人たちが住んでいるか、というのは把握していたでしょうし、ゴミだし当番程度には町内会も機能していたのではないでしょうか。しかし、共助は全く機能していなかった、ということになります。

「ひきこもり脱出」とか「家庭の中での孤立」というのは、当事者が専門家に助けを求めないと、何もはじまりません。放置することで状況は本当にすこしずつ悪くなる一方です。家庭の全員が少しずつ年をとっていくことで身動きがとれなくなります。ただ今回は専門家に助けを求めたにも関わらず、最悪の結果を招いてしまった。これについては後でもう一度述べます。

広義の「ひきこもり」は全国に数百万人いますし、ひきこもりの家族は一千万人ほどにもなります。いっぽう「ひきこもり」を生み出してしまう社会構造が変化していませんから、現在「ひきこもり」でない人も、数年後には「ひきこもり」という状況になってしまいかねないのです。

あまりにも多すぎるので、行政の受け皿も機能しづらいですし、また、多くの中高年ひきこもりは、古くは学校でのいじめや「受験戦争はあったが就職はなかった」就職氷河期による正規雇用失敗の問題(大卒の4割が就職できないという状況がずっと続いています)、リーマンショックや構造改革による人員調整などもきっかけとはなっています。

しかし、それらは「親や一般の人がわかりやすいアイコン」でしかありません。日本人のほとんどの人が、「大人としての自分」という固い殻の下に押し込んでいる、とても他人には言えない、しかし現在の人格を作っている、たくさんの辛い体験がベースにはあり、それを押しつぶしたまま生きているためにとても苦しいのです。

「ひきこもり状態」にある人は、さらにそれに加えて、現状の自分の自信もプライドもずたずたにされて、それでもなんとかがんばって持ちこたえているのです。他人や年配の人が自分をどのように見ているかもある程度わかりますし、「絶対に言われたくないこと」を言われないようにするために、日々必死に自分を守っている状態です。

長くひきこもり状態におかれている人は、よほどの楽天家でもなく、よほどの財産でもない限り、焦り、苦しんでいますが、外からはそのように見えません。「わがまま」「なまけもの」「いばっている」という評価が多く、ダメな周囲の社会人はそれを本人に伝えてしまいます。残念ながらそのことで状況は一ミリも改善しません。かえって追い込んでしまうだけです。そして、その後、それを言ってきた人の言葉には全部耳を塞いでしまいます。受け入れると自分が完全に壊れてしまうからです。

ひきこもりは「ふつうのどこにでもいる日本人」ですから、いろんなタイプの人がいますし、100人いれば100通りの事情があります。だらしないひきこもりの人もいれば、生真面目なひきこもりの人もいます。概して知能レベルが高い人が多く、社会経験が短くて社会性に乏しい人も多いところから、周囲をつい見下してしまう人も少なくありません。そのため「いばっている」という評価につながってしまいます。

世の中には私やあなたを含めて完璧な人はどこにもいないのですが、忙しく働いていて賃金が低い人から見ると、ひきこもりは家でぶらぶらしているだけに見えるので、いきなり完璧を要求してしまう人もいます。長年その家を訪ねていなかった親族などが「まだそんなことをしているのか」と怒鳴り込むこともあります。絶対にやってはいけないことのひとつです。

「実際に家でぶらぶらしているんだから、それを叱ってなにがいけないんですか?」という、子どものようなことをおっしゃる80代の親御さんにもよくぶつかります。50歳のお子さんを5歳のお子さんのように叱ってはいけないんです。大人を人格否定してはいけません。たとえ、何があっても、です。

ひきこもりが100人いたら100通りの理由がある、と申し上げました。幼少期の両親の不仲、離婚、死別、浮気発覚、虐待、溺愛、脅迫、詐欺、薬物やアルコール・喫煙の依存、各種依存症、マルトリートメント、習い事の強要、金銭トラブル、過度な放任、などなど。

多くの場合、子どもを大きく傷つけるような発言や行為の記憶は、親御さんの側には全くありません。そのことをお子さんが知ると「忘れたフリをしている」と逆上することもありますが、私どもの経験上、本当に覚えていないことがほとんどです。

つまり、ほとんどの親御さんは、なんの悪気もなく、お子さんを立ちなおれないほど傷つけることが、往々にしてある、ということです。悪気がないのですから、覚えているわけがありません。

親としての資質に欠ける人でも親になれてしまうので、子どもをうまく育てることができなかったりもしますが、今は核家族がほとんどなので、信じられないような育てられ方をする場合もあります。そうした場合も、社会はとても無力です。

この朝、容疑者は「何食わぬ顔をして、あいさつをした」という報道があります。なんですか、それ。この時、あいさつをされた側が「やあおはよう、元気そうだね。どこへいくの」という気配りはあったのでしょうか?

もし、彼に、自分が社会の一員である、という意識があったならば、こんな他人を傷つけることはないのです。地域社会のかたがたは、彼を地域社会の人として、扱ってきていたのでしょうか? ご家族のかたに声がけをされたりしたのでしょうか? 社会の中でおぼれかけている人がいたにも関わらず、誰一人浮き輪を投げることをせず、かかわりを避けてきたのではありませんか?

もし、銃が簡単に手に入るようであれば、秋葉原殺傷事件のように、無差別大量殺人を行うことができたでしょう。無抵抗な子どもを大量に傷つけることでしか、自分が生きた証を残せない、そんななさけない事件が起きてしまいました。

人を刃物であやめるというのは、大変なエネルギーがいります。非常に大きな激しい怒りがあったのです。それはどこからきたのでしょうか? 社会に対する挑戦であり怒りではあるのでしょう。彼は死ぬ前に自分の力で社会に借りを返す必要があったのでしょう。

通学バスを選んだ理由をいくら掘り下げても、私たちの社会は安全になりません。彼の歪んだ思考を説明することはいくらでも可能ではありますが、そんなことはどうでもいいのです。西鉄バス事件のようなことがまた起きてしまった。この間、私たちのこの社会は一ミリも前進しなかった。一ミリも成長しなかった。むしろ退化してしまった。

内閣府発表の8050問題対象者数61.7万人、その中に彼は含まれていません。わずか47人の調査を行って、5年以上もしくは7年以上のひきこもりが半数以上、20年以上におよぶひきこもりも非常に多数。つまり、ひきこもりがどんどん蓄積していった構造があります。それは社会が努力して成長してこなかった(経済成長という意味ではありません。成熟という意味です)ことを如実に示しているものとはいえるでしょう。

ひきこもりを自分の問題と考えず、自分とは関係ない社会の問題だ、と考える無責任な人で日本はあふれています。町内会という小さな共同体どころか、家族という共同体に対してすら無責任な大人たちが、「家族のなかの困ったちゃん」をなんとかしてください、と政治活動をして、非常に大きなエネルギーを使って活動しています。活動のベクトルが違っているのではないでしょうか?

そのひきこもりは、あなたの友人であり隣人です。社会でおぼれかかっているんです。私たちが安寧な社会を求めるなら、今、実際に困っている人たちに浮き輪を投げなければいけないんじゃないでしょうか。ですから、私どもはこの活動を立ち上げました。ひきこもりのメカニズムを解明し、本質を看破し、脱出メソッドをほぼ完成させました。

非常に多くの人たちがチャレンジし、できなかったソリューションを実現できそうなのです。ところが、私どもにかかってくる親たちは「費用はいくらだ」「答えを教えろ」です。そういう態度では無理なのです。そもそもお金の問題ではないのです。もちろん生活基盤として経済的基盤は必要でお金の問題は誰しもつきまといますが、お金を出せば解決できる、という問題ではないのです。

確かに一部の人が提唱しているベーシックインカムのような制度は、これ以上社会的な悲劇を生まないためには必要かもしれません。しかしそうしたことも実現には時間もかかりますし、なかなか理想と現実は調和しないので、ベーシックインカムで社会問題がすべて解決、ということもありません。

ひきこもり、というのはただの状態を示す言葉です。定義もまちまちですしこの事件によって強いマイナスイメージが発生してしまいましたが、本当はそんなにマイナスな状態でもありません。家をアトリエにしているクリエイターさんはみなさんひきこもり生活者ですから。

そうでなく「日本社会でおぼれている人」が問題なのです。彼らを助けないことには、どうにも日本社会の発展がないのです。海外に行くと「日本社会からはじき飛ばされた人」に会うことがあります。あるいは短期間日本を逃げ出してきた人、にも会うことがあります。日本社会がどれだけ生きづらい社会なのか、海外に出ることによって、それをはじめて感じることもできますし、そういう方法でひきこもり脱出支援をされている方もいます。

ひとつのうまいやり方ではあると思います。しかし、誰がやってもいい、というわけではないのです。政府が専用機で詰め込んで戦争に送り込むように無理やり連れて行ったり、親が急にニコニコして、「海外旅行に当たったから一緒に遊びに行こうよ」といって連れ出してもほとんど無意味なのです。

「ひきこもり状態」は社会的に弱い立場です。そんなことは誰だって知っています。けっして自慢できる状態ではありません。ですから非常に神経質です。ひとつひとつのコメントを受け流したり聞き流すことがうまくできません。ただでさえ溺れかけているのです。ぜひ配慮をお願いします。

「ひきこもり状態」に限らず「いじめ問題」や「依存症」の問題などで、よく「親がなんとかしろ」と自己責任論があります。本当に危険なのでやめていただきたいと思います。社会からの抑圧でおぼれかかっている人にとっては、「親からの抑圧」「親が無意識に行っている(た)抑圧」もおぼれかかっている原因の一つなのです。

非常に多くのひきこもりのかたは「自責的」で「まじめ」で「自己評価が低い」「繊細」「敏感」です。そのように見えない場合がありますが、そうである場合が多いのです。傷つくことが怖いためなかなか人と交われない、ソーシャルサポートを欲しているのに受けられないというたいへんに厳しい状況です。

さて、今般の最大の問題は、先ほども述べました。「専門家に助けを求めたのに、最悪の状態になってしまった」という現実です。精神保健福祉センターは「命を救う」ための施設であり、そこに14回相談して指導を仰いだにも関わらず、命を絶ってしまった(のみならず大勢の子どもたちを巻き添えにして)というのは「専門家の専門性」に対する重大な疑義や「施設の存続の妥当性」にも疑義が生じかねません。

しかし、「おぼれかけている人」の命を救うのは、比ゆではなくて現実の問題としても、かなり困難です。8050問題での救出が困難を極めるのは、「おぼれているはずの人がSOSを出さない」ことにあります。もう少し過激な言い方をすれば「ひきこもりの人が困っているように見えない」のです。

パラサイト関係が長期化することで、海でおぼれていた人が、「顔だけ水面に出して仰向けに浮かんでいれば溺れない」ことを学習するのです。8050問題で困っているのは寄生されている親族であり、本人は「いばっている」ことが多いのです。

なぜいばっているのかと言うと、自信がないからです。自信がないし、社会的に誇れる実績もない。だからからいばりすることによって、なんとか自我を保っているのです。しかし、親族から見ると寄生されているのになんで見下されなければいけないのか? と腹立たしく思えてしまうのです。

ここは本当に難しい問題です。私どもは、8050問題だけでなく、さまざまな現代社会問題を考えていますから、「自信があって実績があって仕事がない」パターンの悲惨さも目の当たりにしているからです。かろうじてサバイブできているだけで、本当に厳しい惨状があります。

「自信があって輝かしい実績があって仕事がなくてSOSが出せない」人を助ける、ということにも取り組んでいるのです。ただ精神的に助けることはできるのですが、経済的に助ける、などということは本当に力不足で。こういう方々にまで「自己責任論」が容赦なくふってきます。

「自信がなくてからいばり」のパターンでは、自信がないので、履歴書を書くことすらできません。傷つきたくなくて友達もできないので、転職する人が50通出して10回面接して、ようやく1つ決まるかどうか、という社会環境の中で、何年、何十年のブランクを乗り越えて面接しに行くのは、ほぼ不可能です。1回はいけたとしても、粘り強く就職活動するのは本当に厳しいです。とてもそれだけの厳しい試練に耐えられるだけの胆力が備わっていない状態ですから、そこでくじけてしまうと、再チャレンジへの道は本当に遠くなります。

精神保健福祉センターなどでは、そうした面接の練習もしますし、それ以前に社会参画に自信を持ってもらうためのプログラムも用意されています。ですが、「精神病患者」として、健康保険を利用して施設に通わないといけない、というのは、一般の人であっても相当ハードルが高いのです。

まして、自信はないけどプライドだけ高く保つことによって、なんとかがんばってきた人にとって、「精神病患者」のレッテルはなんとしても避けたいように思ってしまいがちです。

望まないで「ひきこもり状態」にある人にとって、まず必要なのは、社会経験のある人によるカウンセリングであり、ピアサポートやソーシャルサポートであり、けして社会教育や精神科への通院の強制ではありません。

ぜひ、この事件を契機にして、みなさまが実は社会の一員であり、この日本社会で起きるすべての悲しい出来事の責任の一端を担っていることを自覚し、自分がどういう力を発揮することで世の中をよくしていけるのか、こうした事件を繰り返さないようにできるのか、よく考えてみていただきたいと心から願ってやみません。