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2020年の展望

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年の瀬ですので来年、2020年を展望してみたいと思います。

いよいよ訪れる多死への備えは?

まず2020年代を俯瞰してみましょう。今のところ、人口は全人口に対するグラフだけでみればダラダラと少しずつ減っているようにしか見えません。グラフによっては、斜め45度と急坂を転がり落ちているようにも見えますが、それは統計をどうみせるかの恣意的なもので変わるので、現実に体感している姿とは異なります。

現時点で起きていることはなにか? 日本全体の人口は減り続けているのに、東京、首都圏を代表とする都市部での人口がまだらに増えている。人口は減っているのに世帯数が増えていた。

結婚したい人はたくさんいるが、結婚しなくても圧力がかからなくなっている。結婚しなくても便利に生活できるし、結婚ではなく同居、パートナー、あるいはペットを家族として迎え入れる共生が進んだ。

統計から見て明らかにわかることだけで、独居世帯が増えたということ、そしてそれは、大学に入って、あるいは都市部で就職して一本立ちするというようないっけん華やかそうなものではなく、離婚、死別、ルームシェアリングの解消、あるいはネグレクトからの逃亡など、「満を持した」ものではない話が多数です。

非常に現実的に、厳しい言い方をすれば、単身者世帯のほとんどはほぼ自動的に孤独死してしまう運命です。現時点でも、単身者世帯の3人に1人程度が、腐乱死体で発見されるということです。

死は公平に誰にでも訪れると言いますが、死に方、生きている間の幸福度はけして公平ではありません。不公平もいいところです。数々の栄光を手にし、思い通りに人生を設計して生きた人もいれば、不本意の連続で、他人に人生を台無しにされ続けている人もいます。

私たちは無意識で無配慮であるがために、常に誰かの足を踏んでいます。踏まれている側は痛みがわかりますが、踏んでいる人は、自分が誰に迷惑をかけているか、あるいは苦痛を与えているか、知りませんし気づきません。

非常に多くの人を見てきましたが、お金持ちや、非常に高い地位についたひとほど不平不満をいい、名もなき人のように働いていた人ほど、小さな幸せを大切に思います。人間というのはそういう生き物なのかもしれない、と諦めてしまうほどに、です。

年間150万人が死んで、10年で1500万人がなくなる。それはまだ甘い予測です。70歳くらいの交際が広い人は、一年間に50回くらい葬式に行くといいます。

親しい人との別れというのは辛いものです。親しくなると辛くなってしまう。そのため、他人と親しくなるのを避ける人も少なくはないのです。

この世代の人たちはかなりエゴが強いので、「自分の生きた証」を残そうとします。一般の社会にとっては非常に迷惑です。一部の「業者」さんにとっては蜜の壺なのですが。

2020年代、間違いなく日本における多死社会がきます。現状ではその準備がどこにもできていません。今のところとにかく長生きこそ「正義」です。人は生きる希望を失ったときに生きる希望がなくなってしまいます。

独居世帯が増えている。社会で共生できない人が増えている。さらに老人が増え、「社会のお荷物」が増える。さまざまな配慮は必要ですが、ときに冷徹な政治判断も求められるであろうこの年代の指導者に、あまりにも愚かしい人しか目に入らないという現実が立ちふさがっています。

過去の知恵がゴミに

私たちは、年を重ねてしまうと、過去の経験、や過去の体験、過去の知恵というものについ重きをおいてしまい、現状判断を誤る傾向があります。「腕を磨く」「経験がものを言う」というような慣用句にすがってしまうことがあります。

ところが、何しろ人口が減ります。それも都市部で。さらに老化が進みます。何が起きるかといえば、総人口総基礎代謝が減る。そして、財布の紐は固く固く絞られる。(いまどき財布に紐もなければがま口もありませんが)

コンビニは3つに集約されましたが、ドラッグストアはまだ多数ある。さらに100円ショップがデパートのようになっている。食料品を売る店が多すぎるのですね。都市部では冷蔵庫がなしで生活ができます。

少し昔には、「魚なんか食ってる国民」とバカにされた日本人ですが、どんどん魚を食べなくなっています。ことに日本の魚を。オランダ産、ノルウェー産、ロシア産、アメリカ産。回遊している魚の産地に意味があるかどうかは別として。

崖を落ち始める日がきてしまう

今まではゆるやかな坂を下っていたような日本経済ですが、ふと気づくと本屋さんの数も新聞の部数も、テレビの品質も、あらゆる日本製の品質もすべて落ちてしまって、ほぼ米以外は海外産の食べ物に埋もれている。

最近の服を来ているとそうしたことを感じませんが、ほころびが出てしまうと一気にダメになる。そういう日が、2020年代のどこかで来てしまう。それはオリンピック直後だろう、という予測が多いのですが、誰にもそれはわかりません。

そして、その日が来ても、わかりやすくくればいいのですが、そうではないので。

予測は立てておけば対処できます。悲観的な予測をすると盛り上がらない。そんなところで盛り上がっても仕方ないのです。なるようにしかならない、と言っている人は泣きを見ることになります。

なるように、というのは、今よりずっと悪くなるわけですから。私達に足りないのは覚悟と謙虚さであり、バブル期経験者の傲慢さは本当に役に立たない。すべてのものはGAFAに負けている。その自覚が、再生への第一歩なのです。

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