月: 2019年5月

ひきこもり問題に関する警鐘(登戸事件を受けて)

これは登戸殺傷事件を受けて、一般の社会人のかたがたに向けての私どもの「ひきこもり問題」に対する考え方を示したものです。

登戸殺傷事件に関して、さまざまな言論者、評論家、自称専門家、そして一般社会人などがさまざまな非常に的外れかつ、自己批判なしに他責的な正しくないコメントを出しております。非常に悲しいことですし、冷たい社会なんだな、と思います。どうか、コメントは自粛していただきたいと思います。

一部の人は、事件の首謀者を指して、「モンスター」呼ばわりしたり、「これはテロだ」とか「考えられない」と、全否定したりもしています。大きな間違いです。社会人として無責任かつ不適切です。彼のような気の毒な人を生み出したのは、さまざまな病におかされている現代日本社会そのものです。現代日本社会を作り出しているのは、私やあなたがたみなさん一人ひとりであり、このようなことを繰り返さないためには私たち一人ひとりに大きな責任があります。決して政治家や行政などを責めて解決するものではありません。

事件の全容の解明はまだ当分先でしょうしオウム事件のように解明されないかもしれません。ただ、事実としては、「長期間ひきこもり状態にあった比較的コミュニケーションも取れる男性が、(おそらくは)プライドを傷つけられるきっかけから、計画的に大勢の罪のない児童たちを巻き添えに自害した」です。大変悲劇です。被害にあわれたかたの怒りと悲しみはとても想像しえない、社会にとってもとても辛い状況です。

ただ、私たちが勘違いしてはいけないのは、彼は「大勢の人たちを殺害するために生を受けたわけではない」ということです。つまり彼はテロリストではないし、自爆テロを起こしたわけでもありません。世の中にテロリストがうようよいるわけでもなく、まして不幸にしてひきこもり状態にある人たちに対して監視の目を強めよ、というような論調は勘違いもはなはだしい、それこそが日本社会の病理であり、このたびの行動の引き金になったともいえます。

私どもはこの事件を擁護しているわけではありません。「正しい目で物事をみてください」とおねがいしているのです。それは事件を繰り返さないために社会が成長しなければいけませんよ、と申し上げているのです。こんな悲劇を乗り越えて成長しなければいけないのは大変ですが、そうしないと、何度も何度もこうしたことは繰り返されます。

オウムしかり西鉄バスジャックしかり、ふつうの人、として生まれたはずの人、事件を起こす前までは特に大きな問題もなく、したがって警察からマークされることもなかったような人がある日突然大事件を起こしてしまう。起こせてしまう。そして繰り返されてしまいます。

ご近所のかたは、「あの家にはひきこもりみたいな人がいる」と認識していました。認識しながら放置していました。おそらく誰も救いの手を差し伸べませんでした。侮蔑的な視線で見ることはしたとしても、誰も友達になってあげたり、彼の心の闇を親身になって考えてあげたり、という「めんどくさいこと」を避けてきたのではないでしょうか?

この事件を全国で報道することで、地域地域で受け取り方は全く違うと思います。登戸は古くから開発された街で急行も止まります。いっぽうよみうりランド付近は私の記憶では、アップダウンの激しい地形にたくさんの住宅街が張り付いている土地柄で、何十年と住んでいる人も多く、地方ほどではなくとももう少しウェットな人間関係があった場所です。

少なくとも、近所の事情通だったり、リタイヤメントして住み続けている人は、周囲50軒程度に、ある程度どんな人たちが住んでいるか、というのは把握していたでしょうし、ゴミだし当番程度には町内会も機能していたのではないでしょうか。しかし、共助は全く機能していなかった、ということになります。

「ひきこもり脱出」とか「家庭の中での孤立」というのは、当事者が専門家に助けを求めないと、何もはじまりません。放置することで状況は本当にすこしずつ悪くなる一方です。家庭の全員が少しずつ年をとっていくことで身動きがとれなくなります。ただ今回は専門家に助けを求めたにも関わらず、最悪の結果を招いてしまった。これについては後でもう一度述べます。

広義の「ひきこもり」は全国に数百万人いますし、ひきこもりの家族は一千万人ほどにもなります。いっぽう「ひきこもり」を生み出してしまう社会構造が変化していませんから、現在「ひきこもり」でない人も、数年後には「ひきこもり」という状況になってしまいかねないのです。

あまりにも多すぎるので、行政の受け皿も機能しづらいですし、また、多くの中高年ひきこもりは、古くは学校でのいじめや「受験戦争はあったが就職はなかった」就職氷河期による正規雇用失敗の問題(大卒の4割が就職できないという状況がずっと続いています)、リーマンショックや構造改革による人員調整などもきっかけとはなっています。

しかし、それらは「親や一般の人がわかりやすいアイコン」でしかありません。日本人のほとんどの人が、「大人としての自分」という固い殻の下に押し込んでいる、とても他人には言えない、しかし現在の人格を作っている、たくさんの辛い体験がベースにはあり、それを押しつぶしたまま生きているためにとても苦しいのです。

「ひきこもり状態」にある人は、さらにそれに加えて、現状の自分の自信もプライドもずたずたにされて、それでもなんとかがんばって持ちこたえているのです。他人や年配の人が自分をどのように見ているかもある程度わかりますし、「絶対に言われたくないこと」を言われないようにするために、日々必死に自分を守っている状態です。

長くひきこもり状態におかれている人は、よほどの楽天家でもなく、よほどの財産でもない限り、焦り、苦しんでいますが、外からはそのように見えません。「わがまま」「なまけもの」「いばっている」という評価が多く、ダメな周囲の社会人はそれを本人に伝えてしまいます。残念ながらそのことで状況は一ミリも改善しません。かえって追い込んでしまうだけです。そして、その後、それを言ってきた人の言葉には全部耳を塞いでしまいます。受け入れると自分が完全に壊れてしまうからです。

ひきこもりは「ふつうのどこにでもいる日本人」ですから、いろんなタイプの人がいますし、100人いれば100通りの事情があります。だらしないひきこもりの人もいれば、生真面目なひきこもりの人もいます。概して知能レベルが高い人が多く、社会経験が短くて社会性に乏しい人も多いところから、周囲をつい見下してしまう人も少なくありません。そのため「いばっている」という評価につながってしまいます。

世の中には私やあなたを含めて完璧な人はどこにもいないのですが、忙しく働いていて賃金が低い人から見ると、ひきこもりは家でぶらぶらしているだけに見えるので、いきなり完璧を要求してしまう人もいます。長年その家を訪ねていなかった親族などが「まだそんなことをしているのか」と怒鳴り込むこともあります。絶対にやってはいけないことのひとつです。

「実際に家でぶらぶらしているんだから、それを叱ってなにがいけないんですか?」という、子どものようなことをおっしゃる80代の親御さんにもよくぶつかります。50歳のお子さんを5歳のお子さんのように叱ってはいけないんです。大人を人格否定してはいけません。たとえ、何があっても、です。

ひきこもりが100人いたら100通りの理由がある、と申し上げました。幼少期の両親の不仲、離婚、死別、浮気発覚、虐待、溺愛、脅迫、詐欺、薬物やアルコール・喫煙の依存、各種依存症、マルトリートメント、習い事の強要、金銭トラブル、過度な放任、などなど。

多くの場合、子どもを大きく傷つけるような発言や行為の記憶は、親御さんの側には全くありません。そのことをお子さんが知ると「忘れたフリをしている」と逆上することもありますが、私どもの経験上、本当に覚えていないことがほとんどです。

つまり、ほとんどの親御さんは、なんの悪気もなく、お子さんを立ちなおれないほど傷つけることが、往々にしてある、ということです。悪気がないのですから、覚えているわけがありません。

親としての資質に欠ける人でも親になれてしまうので、子どもをうまく育てることができなかったりもしますが、今は核家族がほとんどなので、信じられないような育てられ方をする場合もあります。そうした場合も、社会はとても無力です。

この朝、容疑者は「何食わぬ顔をして、あいさつをした」という報道があります。なんですか、それ。この時、あいさつをされた側が「やあおはよう、元気そうだね。どこへいくの」という気配りはあったのでしょうか?

もし、彼に、自分が社会の一員である、という意識があったならば、こんな他人を傷つけることはないのです。地域社会のかたがたは、彼を地域社会の人として、扱ってきていたのでしょうか? ご家族のかたに声がけをされたりしたのでしょうか? 社会の中でおぼれかけている人がいたにも関わらず、誰一人浮き輪を投げることをせず、かかわりを避けてきたのではありませんか?

もし、銃が簡単に手に入るようであれば、秋葉原殺傷事件のように、無差別大量殺人を行うことができたでしょう。無抵抗な子どもを大量に傷つけることでしか、自分が生きた証を残せない、そんななさけない事件が起きてしまいました。

人を刃物であやめるというのは、大変なエネルギーがいります。非常に大きな激しい怒りがあったのです。それはどこからきたのでしょうか? 社会に対する挑戦であり怒りではあるのでしょう。彼は死ぬ前に自分の力で社会に借りを返す必要があったのでしょう。

通学バスを選んだ理由をいくら掘り下げても、私たちの社会は安全になりません。彼の歪んだ思考を説明することはいくらでも可能ではありますが、そんなことはどうでもいいのです。西鉄バス事件のようなことがまた起きてしまった。この間、私たちのこの社会は一ミリも前進しなかった。一ミリも成長しなかった。むしろ退化してしまった。

内閣府発表の8050問題対象者数61.7万人、その中に彼は含まれていません。わずか47人の調査を行って、5年以上もしくは7年以上のひきこもりが半数以上、20年以上におよぶひきこもりも非常に多数。つまり、ひきこもりがどんどん蓄積していった構造があります。それは社会が努力して成長してこなかった(経済成長という意味ではありません。成熟という意味です)ことを如実に示しているものとはいえるでしょう。

ひきこもりを自分の問題と考えず、自分とは関係ない社会の問題だ、と考える無責任な人で日本はあふれています。町内会という小さな共同体どころか、家族という共同体に対してすら無責任な大人たちが、「家族のなかの困ったちゃん」をなんとかしてください、と政治活動をして、非常に大きなエネルギーを使って活動しています。活動のベクトルが違っているのではないでしょうか?

そのひきこもりは、あなたの友人であり隣人です。社会でおぼれかかっているんです。私たちが安寧な社会を求めるなら、今、実際に困っている人たちに浮き輪を投げなければいけないんじゃないでしょうか。ですから、私どもはこの活動を立ち上げました。ひきこもりのメカニズムを解明し、本質を看破し、脱出メソッドをほぼ完成させました。

非常に多くの人たちがチャレンジし、できなかったソリューションを実現できそうなのです。ところが、私どもにかかってくる親たちは「費用はいくらだ」「答えを教えろ」です。そういう態度では無理なのです。そもそもお金の問題ではないのです。もちろん生活基盤として経済的基盤は必要でお金の問題は誰しもつきまといますが、お金を出せば解決できる、という問題ではないのです。

確かに一部の人が提唱しているベーシックインカムのような制度は、これ以上社会的な悲劇を生まないためには必要かもしれません。しかしそうしたことも実現には時間もかかりますし、なかなか理想と現実は調和しないので、ベーシックインカムで社会問題がすべて解決、ということもありません。

ひきこもり、というのはただの状態を示す言葉です。定義もまちまちですしこの事件によって強いマイナスイメージが発生してしまいましたが、本当はそんなにマイナスな状態でもありません。家をアトリエにしているクリエイターさんはみなさんひきこもり生活者ですから。

そうでなく「日本社会でおぼれている人」が問題なのです。彼らを助けないことには、どうにも日本社会の発展がないのです。海外に行くと「日本社会からはじき飛ばされた人」に会うことがあります。あるいは短期間日本を逃げ出してきた人、にも会うことがあります。日本社会がどれだけ生きづらい社会なのか、海外に出ることによって、それをはじめて感じることもできますし、そういう方法でひきこもり脱出支援をされている方もいます。

ひとつのうまいやり方ではあると思います。しかし、誰がやってもいい、というわけではないのです。政府が専用機で詰め込んで戦争に送り込むように無理やり連れて行ったり、親が急にニコニコして、「海外旅行に当たったから一緒に遊びに行こうよ」といって連れ出してもほとんど無意味なのです。

「ひきこもり状態」は社会的に弱い立場です。そんなことは誰だって知っています。けっして自慢できる状態ではありません。ですから非常に神経質です。ひとつひとつのコメントを受け流したり聞き流すことがうまくできません。ただでさえ溺れかけているのです。ぜひ配慮をお願いします。

「ひきこもり状態」に限らず「いじめ問題」や「依存症」の問題などで、よく「親がなんとかしろ」と自己責任論があります。本当に危険なのでやめていただきたいと思います。社会からの抑圧でおぼれかかっている人にとっては、「親からの抑圧」「親が無意識に行っている(た)抑圧」もおぼれかかっている原因の一つなのです。

非常に多くのひきこもりのかたは「自責的」で「まじめ」で「自己評価が低い」「繊細」「敏感」です。そのように見えない場合がありますが、そうである場合が多いのです。傷つくことが怖いためなかなか人と交われない、ソーシャルサポートを欲しているのに受けられないというたいへんに厳しい状況です。

さて、今般の最大の問題は、先ほども述べました。「専門家に助けを求めたのに、最悪の状態になってしまった」という現実です。精神保健福祉センターは「命を救う」ための施設であり、そこに14回相談して指導を仰いだにも関わらず、命を絶ってしまった(のみならず大勢の子どもたちを巻き添えにして)というのは「専門家の専門性」に対する重大な疑義や「施設の存続の妥当性」にも疑義が生じかねません。

しかし、「おぼれかけている人」の命を救うのは、比ゆではなくて現実の問題としても、かなり困難です。8050問題での救出が困難を極めるのは、「おぼれているはずの人がSOSを出さない」ことにあります。もう少し過激な言い方をすれば「ひきこもりの人が困っているように見えない」のです。

パラサイト関係が長期化することで、海でおぼれていた人が、「顔だけ水面に出して仰向けに浮かんでいれば溺れない」ことを学習するのです。8050問題で困っているのは寄生されている親族であり、本人は「いばっている」ことが多いのです。

なぜいばっているのかと言うと、自信がないからです。自信がないし、社会的に誇れる実績もない。だからからいばりすることによって、なんとか自我を保っているのです。しかし、親族から見ると寄生されているのになんで見下されなければいけないのか? と腹立たしく思えてしまうのです。

ここは本当に難しい問題です。私どもは、8050問題だけでなく、さまざまな現代社会問題を考えていますから、「自信があって実績があって仕事がない」パターンの悲惨さも目の当たりにしているからです。かろうじてサバイブできているだけで、本当に厳しい惨状があります。

「自信があって輝かしい実績があって仕事がなくてSOSが出せない」人を助ける、ということにも取り組んでいるのです。ただ精神的に助けることはできるのですが、経済的に助ける、などということは本当に力不足で。こういう方々にまで「自己責任論」が容赦なくふってきます。

「自信がなくてからいばり」のパターンでは、自信がないので、履歴書を書くことすらできません。傷つきたくなくて友達もできないので、転職する人が50通出して10回面接して、ようやく1つ決まるかどうか、という社会環境の中で、何年、何十年のブランクを乗り越えて面接しに行くのは、ほぼ不可能です。1回はいけたとしても、粘り強く就職活動するのは本当に厳しいです。とてもそれだけの厳しい試練に耐えられるだけの胆力が備わっていない状態ですから、そこでくじけてしまうと、再チャレンジへの道は本当に遠くなります。

精神保健福祉センターなどでは、そうした面接の練習もしますし、それ以前に社会参画に自信を持ってもらうためのプログラムも用意されています。ですが、「精神病患者」として、健康保険を利用して施設に通わないといけない、というのは、一般の人であっても相当ハードルが高いのです。

まして、自信はないけどプライドだけ高く保つことによって、なんとかがんばってきた人にとって、「精神病患者」のレッテルはなんとしても避けたいように思ってしまいがちです。

望まないで「ひきこもり状態」にある人にとって、まず必要なのは、社会経験のある人によるカウンセリングであり、ピアサポートやソーシャルサポートであり、けして社会教育や精神科への通院の強制ではありません。

ぜひ、この事件を契機にして、みなさまが実は社会の一員であり、この日本社会で起きるすべての悲しい出来事の責任の一端を担っていることを自覚し、自分がどういう力を発揮することで世の中をよくしていけるのか、こうした事件を繰り返さないようにできるのか、よく考えてみていただきたいと心から願ってやみません。

「生きづらさ」を抱える皆様へ(登戸事件より)

8050センター(旧称8050問題解決センター)川島です。いわゆる「登戸殺傷事件」につきまして、「8050問題の専門家」の立場から、日本中に数千万人いらっしゃる「生きづらさ」を抱えている皆様へ、まずはメッセージを差し上げます。

「生きづらさ」を感じていらっしゃるかたは、遠慮することなく、8050センターにお電話をいただければ、と存じます。なお、当面の間着信のみの場合は折り返しのご連絡を差し上げる場合がございます。

「生きづらさ」は、友人知人に言うことは本当に難しいです。というより、うまく言葉にできない場合も多いです。なぜ、生きづらく感じてしまうか、何が原因で生きづらいのか、答えはその人にしかわかりません。ひとつの正解があって、その答えを言えばいいというものではありません。

私どもは、じっくりとお話をお伺いしてまいります。「あれが原因かも」「これが原因かも」というようなものもたくさんあるでしょう。原因はひとつふたつではありませんし、1時間や2時間で答えを出せるものでもありません。

私どもは、ご相談者さまの味方です。お話をこばかにしたり、「そんな小さなこと」「細かいこと」と言うことは絶対にありません。「細かいこと」「小さいこと」「古い記憶」「誰も覚えていない小さな出来事」「友達にもいえない心のゆらぎ」「死ぬまで誰にも言わず封印しておきたかった経験」「つらさ」そんなものに、「生きづらさ」が隠れています。とても大切なヒントがあります。そうしたものに寄り添って、一緒に考えていくのが私どもの役割です。

「今の自分は、なりたかった自分ではない」「イメージしていた自分と違う」「両親や兄弟の言うようには生きられない」「テレビの人のように生きられない」そういうさまざまな思いで苦しんでいらっしゃる方もたくさんいます。

「相談する相手がいない」「誰に相談してもうまくいかない」「親に相談すると傷つくことしか言わない」「自分で悩んでもぜんぜん結論が出ない」「インターネットで相談しても軽くあしらわれる」そうしたかたは、ハードルが高いとは思いますが、8050センターのメールフォームでメールをいただくか、info★8050.jp (★は@に置き換えて)に捨てアカウントや偽名でけっこうですので、メールをください。

今回、容疑者のかたは「ひきこもり」と呼ばれたことに激昂したという報道もあります。無理ありません。先般内閣府で行われた調査結果の「ひきこもり」に容疑者の方は該当しません。「ひきこもり」には強いマイナスイメージがあります。肉親の方が本人の了解もなしに、不用意に「ひきこもり」としてご相談された、ということに強い憤りを感じるのは無理ないことです。

ただ、フラットに考えますと、ほとんどの年金生活者、年に100万円以下の収入のかた、生活保護のかた、自宅だけで仕事をしているかた(Youtuber、アフィリエイター、文筆業、クリエイターなど)も、状態としては「ひきこもり」です。

内閣府の40歳以上61.7万人以上という「ひきこもり」は実態を表しているものではなく(家事手伝いの女性、時々は働きに出られる人、家族以外の人との会話がある人、65歳以上の人などはのぞいている)実際には、ひきこもり世帯数は300万世帯より多いと考えられます。

全国の世帯数は6000万ですから、20世帯に1世帯はひきこもりということになります。また、ひきこもりの家族は平均3人いますので、日本人の10人に1人はひきこもり問題を家族の問題として抱えているはずなのです。

ですから、ひきこもり問題はとても身近な問題です。誰でもが突然ひきこもりになってしまったとしても、全く不思議がない状態です。なりたくてなる人は本当に少なくて、抜け出せないことでもがいている人も本当にたくさんいます。でも、無理して抜け出さなくてもいいかもしれません。それは一緒に考えていきましょう。

こんなに身近な問題なのに、世の中の人はとても冷たくて、他人事のように評論、評価します。そうした人たちの意見に耳を傾けてはいけません。世の中には他人を思いやるふりをして、自分のいいなりにさせよう、という人も多いのです。

ひきこもり、というレッテルを貼られてしまうと大変なことになる、そんな恐ろしさがあることはよくわかります。どんなにたくさんひきこもりの人がいても、もちろんあなたには関係ありません。あなたはあなたという「特別な存在」です。残念ながらあなたの命を守れるのはあなた自身しかいません。全力で自分の命を守ってください。

ひきこもり関係者の人たちだけではなく、がんばって、がまんして働いているけれどもとにかく生き辛さを感じている人は、さらにその数倍います。今回の事件で容疑者やその家族に対してひどい言葉を浴びせかけているような人たち自身がそうとう生きづらさを抱えていて、その抑圧を他者にぶつけることで解消しようとしているようにも感じます。

日本は本当に生きづらい国です。よく「怨嗟と嫉妬の文化」(えんさとしっとのぶんか)と言う言葉で表現されますが、「文化」などという立派なものではなく、とても恥ずかしい国、情けない国です。国として成立しているのが奇跡かもしれません。

誰にもわかってもらえない、その生きづらさに、私たちは共感します。テレビも新聞も無責任なインターネットも無視してください。また、特に理解しあえないであろう親である場合には注意してください。あなた自身のことを理解し、手伝ってくれる人はどこかにはいます。残念ながら、自分自身の問題は自分自身だけでは答えが出せません。私どもは、あなたの鏡になって、あなた自身があなた自身のことを見られるようにいたします。

どうか命を守ってください。